李和晋個展「新潟」
Hwajin Lee “Niigata”

会期:2024年9月8日(日)〜9月23日(月・祝)|12:00-20:00|火曜休廊
場所:theca(コ本や honkbooks) 
住所:〒162-0801 東京都新宿区山吹町294小久保ビル2F
アクセス:東京メトロ有楽町線 江戸川橋駅3番出口より徒歩4分、東西線 神楽坂駅より徒歩7分
お問合せ:leeh41697@gmail.com(李和晋)
観覧料:無料
URLhttps://honkbooks.com/hwajin-niigata/
主催:李和晋
リサーチ協力:佐藤帆乃香、森沢真理、藤石貴代、原亜由美
編集協力:原亜由美
デザイン:柳川智之
インストール:大塚実香子
協力:青柳菜摘
謝辞:金時鐘、姜順喜
助成:公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京 スタートアップ助成

私は80年代に移り住んできた韓国系新来外国人の二世です。1983年に日本政府によって開始された「留学生10万人計画」の直後に渡日した父は、日本で職を得、韓国人の母と結婚し、家庭を築きました。途中、韓国で暮らした4年間を除いて、日本の学校教育を選択し、この地に半ば同化する形で移民として暮らしてきました。

タイトルの「新潟」は、済州島4.3事件1の際、難民として日本に渡ってきた詩人・金時鐘(1929-)の同名の詩に倣っています。三章から成る長編詩「新潟」には、日本に居ながら朝鮮の分断をいかに生きるか、という問いが刻まれています。1970年に構造社から出版され、済州島4.3事件、吹田・枚方事件、浮島丸事件、帰国事業などの記憶が幾重にも埋め込まれたように重なる、独特な日本語で綴られたこの詩は、金時鐘が創作した数多の作品の中でもとりわけ大きな評価を得てきました。

朝鮮半島は、アジアの近代化において起こった大日本帝国の植民地占領(1910-1945)を経て、解放後の混乱の中、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国に分断されます。冷戦時代に米ソの代理戦争として激化した朝鮮戦争(1950−1953)とその後も続く休戦状態は、日本社会や日本に生きる在日朝鮮人にも様々な影響を与えています。日本における南北の分断は、朝鮮民主主義人民共和国側・朝鮮総連と韓国側・民団という、二つの在日朝鮮人組織の対立に象徴されつつ、今日まで残響しています。

今回の個展では、金時鐘の「新潟」を、渡日の経緯も世代も異なる私の視点から写真作品として書き換えることで、近くて遠い他者の生きた/生きている時間の延長上に、自身のルーツを複数化し、乱反射させていくことを試みます。それはルーツを探ると同時に、解体していく行為でもあるはずです。そもそも「ルーツを探る」という試みには、どのような意味があるのでしょうか。そして、そのイメージは、どのように到来する/しないのでしょうか。

2021年から始まったこのプロジェクトは、今後も続いていく予定です。

注1)済州島4.3事件は、朝鮮半島分断の直前に行われた南側の単独選挙に反対する済州島民の武装蜂起(1948)を契機として起こった虐殺。島全体の焦土化作戦が繰り広げられ、凄惨な様相を呈したこの事件は、長らくの間タブー視され、韓国が民主化してから13年後の2000年頃まで公には語られてこなかった。それは日本における在日朝鮮人社会においても同じであった。「新潟」における済州島4.3事件の表現についても、金時鐘自らが語り始める2000年頃まで明らかにされていなかった。

注2)吹田事件は1952年6月に起こった、朝鮮戦争と戦争協力に反対するデモ隊と警官隊が衝突した事件。枚方事件も同日に起こり、兵器を製造する工場などを爆破した。

注3)戦争直後の1945年8月24日、青森の大湊から釜山へ向け出向した旧日本海軍の輸送船である浮島丸が京都の舞鶴港で爆破、沈没した事件。浮島丸は戦争末期に徴用された朝鮮人とその家族を乗せていた。500人以上が死亡し、1950年代に入ってようやく引き上げが開始された。爆発の原因は未だ謎のままである。

注4)1959年から1984年にかけて日本政府、朝鮮民主主義人民共和国政府、赤十字社によって行われた在日朝鮮人を朝鮮民主主義人民共和国に「帰す」試み。行先は「地上の楽園」であるというプロパガンダのもと差別や生活苦などを理由に9万人以上の人々が海を渡っていった。また、在日朝鮮人の大多数は、分断する以前の南側地域の出身であったが、思想的には朝鮮民主主義人民共和国に共鳴する人々が少なくなかった。その背景として、未だ社会主義国家の発展が期待されていた50年代、韓国は軍事独裁政権の時代であり、日本との国交も正常化していなかった事情がある。帰国事業において送り出す側であった市民の多くが肯定的な見解を示したように、海の向こう側の未知なる社会主義国家への期待は、日本社会においても例外ではなかった。

プロフィール

李和晋(リファジン)/写真家・映像作家・アーティスト

1991年東京生まれ。4歳から7歳までを韓国ソウルで過ごす。現在、東京在住。移民としての出自を出発点に、ルーツを探る制作を行う。人と土地との関わりにおいて起こる現象をテーマに、朝鮮半島や東アジアに向き合いながら、歴史的なねじれに含まれる複雑さと豊かさを表現する。作品群は、制作を経てつくり替えられていく私と社会の相関図であると同時に、ひとつの作品内に複数の出来事の重なり合いを布置し、鑑賞者による多義的な解読を可能にする。また、ルーツを探る過程をトランスナショナルに位置付ける方法を問うことで、国家の公用語に制約されてしまう大文字の歴史記述に対する私の記し方を探求していく。主な作品に、韓国の釜山に暮らす祖母を訪ねて制作した「時の窓辺に暮らす」(組写真・2013-2015)、家族写真がうつされた場所を探し求めて旅をしながら制作した「Saudade」(ヴィデオ・2019-2020)、ある男の母親探しに重ねて家族や国という共同体と個人との関係を問う「イメージをさがして」(ヴィデオ・2020-2021)がある。現在、金時鐘の長編詩「新潟」を書き換える試み「新潟」(組写真・2021-)に取り組む。言語学者であった金壽卿と渡り鳥マナヅルを重ねて語る「鳥の人生」(ヴィデオ・2024-)を構想中。
ウェブサイト:hwajin.myportfolio.com
インスタグラム :@hwajin.leee